陽時計と日々記

三十路過ぎて囲碁を始めてみるおっさんのブログ。

4/14 囲碁ステーション。

日曜日は囲碁ステーションに参加してきました。しかしながら体調不良であまりモチベーションも上がらず…なんとなく碁を打つ気分でも無かったんですが。内容は以下の通り。

  • 19路九子局で白番、ジゴ白勝ち。
  • 13路五子局で白番、20数目勝ち。
  • 19路六子局で白番、中押し負け。
  • 13路五子局で白番、20目弱の勝ち。

19路でウンウンうなりながら打つよりは、13路でサクサク…とか考えてたんですが、流石に五子も置かれると…こっちはミス出来ないし、あっちのミスには即つけ込まないといけないし、と、相手のミスが出るまでジッとガマンの子、こっちは緩すぎず固すぎず…みたいな、終始ジリ貧な感じで、結局消耗してしまった。

微熱があったもんで頭も冴えない感じだったんですが…六子局では負けてしまい。どうしたらよかったのか、ずっと考えているんですが、どうも分からない。ヨセまで行ったんですが、「これは足りないな」と思ったので投了した感じ。五子はまぁまだしも六子ってキツイわぁ…。

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こんな進行だったんですが、まぁ1は良いとしても、冷静に考えたら1に受けない選択も十分あり得るわけで、2で4もあり得る。と言うわけで、ほぼ上辺しか取れない状況なんですよね。と言う事は、あっちもこっちも三連星じゃないか…と言うわけで、八子や九子局と精神的にほとんど変わらないという。

六子となると、九子置かせる相手と違って、ある程度の死活も分かっているし、手筋も定石も知っている…と言う相手になるわけで。当然、あまりにも無茶な手を打つと、きっちり咎めてきてくれるので、そこまで無理矢理な手を打つこともできず。こちらはこちらで、いかに働きが良く効率の良い手を打つか、という事になるんですが…結果を見れば、私にはまだまだそんなことは出来ませんでした。

「石を置かせたら、置かせた分だけ、どこかで無茶をしないといけなくなる」…という話を聞くには聞くんですが、それはどうも違うんじゃないかな?と。と言うのも、以前にそういう話をアマ高段の方に相談した時、「別に無茶しなくても、(地が)取れるところから取ったらいいんじゃないですか?」と、サラッと言われた記憶が。確かに、私も、アマ高段の方に九子置いたり七子置いたりして指導碁を打って頂いていますが、そんなに無茶な(強引な)手を打たれた記憶って、そこまで無いんですよね。打ち込まれて当然なところというか…打ち込まれてから、(しまった、なるほどなぁ…)と思う場所に来られることが多い。殺せそうに見えても殺せなかったり、活路がしっかり用意されてあったり…。

で、私にはそういう知識も技術も無い、という、単純な話なのだろうな、と。

これは…死活はもちろんなんでしょうが、詰碁というよりは、手筋や定石に近い話になってくる、のかな。打ち込んでも大丈夫なところかどうか、打ち込んだ後の結果まで含めて読めているかどうか…ですよね。打ち込み指南の棋書などもありますが…打ち込めるか判断できるかどうかってのは、やっぱりヨミと確信があってこそでしょうし。

確かに、前々から三連星なり中国流なり、スミから辺にかけて、がっつり確保される事が多いので、「どこに打ち込むか」「どこに打ち込めるか」というのは、そろそろ課題になりつつある気がします。