陽時計と日々記

三十路過ぎて囲碁を始めてみるおっさんのブログ。

サークル。

金曜日は恒例のサークルでした。隔週のはずが本当に毎週になっている…。

まずは先生との五子局。これがどういうわけか、いまいち内容を覚えていない…。記憶に残っているのは、殺せたはずの石を2カ所、殺せなかったこと。厳密には「殺す気が無かった」んですが。実際、どちらの場面も「これ殺せるんじゃないだろうか?」と思った時があったんですが、殺す事よりも小さくまとめる事を優先して、ある程度小さくまとまった時点で先に大場に打ちに行くようにしていました。殺せるかどうかまでは読まず。殺しに行くと、決定打を打った時点で白の次の手が次の大場に移りますから、先手を取られる事になりますよね。それがイヤだった。まー殺せるなら殺した方が大きく得を計れるので、考えてみればそっちの方が良いのか…。ただ、「殺せそう」ぐらいのおぼろげな自信だと、殺せなかった上に先手を取られるわけで、それが怖いです。あとはもう一カ所、全く気付かなかった場所で石を殺せた部分があったのですが、それは言われるまで全然気付きませんでした。10手ぐらいの長い手順を間違い無く打つ必要があったので、まぁそれはわからんなー、と思いましたが…もう分からないとダメなんですかね?

次に二子局を、白番で。え、白!?二子置かせて??打ち方分からないんですけど!逆コミが2目半??…と言う感じだったのですが、対局途中で時間切れで、引き分けと言う事に。引き分けた局面で白が85目ぐらいだったそうなので、何事も無く終局出来ればギリギリ勝ってたぐらい?だと思うんですが、自分でふがいないと思えた場面もあったので引き分けが妥当だと思いました。途中、相手の方のミスで、成功しないだろうと思っていた黒の接続を切ることに成功してしまい、(あれ?この一団、殺せるんじゃね?)という邪念が。これが失敗で、手を焦ってしまい、殺す事に失敗するどころか6子を取られるという結果に。どうも、元々殺すつもりが無かった石を、急遽、欲張って殺そうとしたりすると、大抵その碁はロクな事にならない気がします。「多分殺せる、いけそう、いけるだろ」ではダメですね。「確実に殺せる。どう転んでも殺せる」という状況なら別なんでしょうが。この辺りは実戦経験の少なさから来ているのかな…。

次回からは、先生との対局は棋譜を取ろうかなぁと。碁罫紙に取るのも良いんですが、幸いにもiPadという文明の利器がある為、こいつに入力していくのが楽かな?と。メモりながら対局って失礼かなぁ…と思ったりもするのですが、棋譜を取りながら打たれている方も居られるので、自分もやってみようかな、と。実際やるかはわかんないですけど。局面に対する集中力が落ちそうな気がするんですよね。

そういえば、先生に「碁のイベントなどに出る際、棋力を聞かれたら、今はどの程度と答えるのが妥当ですか?」と聞いたところ、「指導碁などのイベントであれば8級、もしくは中級者、大会などであれば周りの方々が控えめに級位を申請する事を考えると10級程度が妥当です。」との事でした。うーん…そんな自覚は無いな…。