陽時計と日々記

三十路過ぎて囲碁を始めてみるおっさんのブログ。

第6回 ごやねん。

参加してきました。前回・前々回と人が凄く多かったのですが、今回はそんな事も無く。人が少ない方がユルい感じがして居心地が良いだろうと思っていたんですが、そんなことは無く、以前に増して緊張感が高く感じてしまいました。9路・13路コースは、そんな事はなかったみたいですが。

碁の方はと言うと結果は惨憺たる様で、なんと言ったら良いものやら。勝ったり負けたりだったのですが、「これのどこが勝ちなん?」というような情けない有り様で、勝ったというよりは勝たせて貰ったという感じでした。負けた方は言わずもがな。

最近、ごやねんに行くと、必ず19路で打つことを勧められます。で、「どちらかと言うと13路の方が好きです」と言うのですが、いやいや19路で、19路で打てるんだから、と、19路で打つことになるのですが、なぜ19路で打たないといけないのだろう?と思う事が。囲碁ステーションは「今日は13路が良いです」と言うと13路で打たせて貰えるので、気軽な気がしてきました。確かに囲碁は19路が基本のゲームですし、19路で打つのが囲碁の醍醐味ではあるんでしょうが、私には19路は分からない事が多すぎて、ついていけないと感じる事があります。一手間違えると大石が死ぬような局面が連続すると吐き気を催してくるほどで。メンタルが極端に弱いんでしょうね。

13路までは一応入門という位置づけになる為か、例えば終局後の解説などを聞いていても「ここに打ったら、こうなって、こうなって、こうなりますから、この場合はこっちの方が良いですよね。」というように手順を追って丁寧に教えて頂けるのですが、19路になった途端、「ここはこう打たないとダメですよね?」「ここはコレしかありません。」というように、手順や手筋、石の強弱や連絡・切断の手段、石の効率などなど…を知っていて当たり前という空気が強くなるのも、気後れする理由の一つかなぁと。それに対して「わからないです」と言いづらい空気があるというか。プロの方は「分からなければ何でも聞いてくれれば」「誰でも強くなりますから」と、みなさん口を揃えて言うのですが、自分にはそれもいまいち腑に落ちない。分からない事なんて山ほどあるし、説明されても「なんでその手がそんなに良いのかわからない」と思う事なんて、ほとんど毎回のようにある状態。何が分かっていないのかすら分からない。自分がどれだけ分かっていないかという事は自分が一番分かっているのに、13路では打たせてくれないというのは、ジレンマを感じる。分からない事を分からないと言いにくい空気やタイミングと言うのもあるし、正直なところ、良い年した大人が「そんなこともわからんと囲碁やってんのか」と思われたくない、と思うのは、そんなに変な事だろうか。誰でも強くなるなんて言われたって、いつまで経っても強くなれない人だって、きっと居ると思う。機会があって何人かのプロの方やアマの高段者の方に、そういう事を悩んでいると相談した事があるのだが、大抵は、何を相談しても「大丈夫ですよ」と皆、言うのだが、何が大丈夫なのか根拠が分からない。そういう事を色々と考えていくと、プロの人がかけてくれる言葉って全然アテにならんなぁ…と思えてくる。捻くれすぎなんだろうか。

あと形勢判断がさっぱりわからない。13路は大体良さそう・悪そうぐらいが直感的に分かるんですが、19路は勝っていても「負けているのではないか。巻き返せないのでは無いか」と、かなり早い段階で気になってくる。精神的に負い目を感じた状態で打っていても、やはり優位になることは無いわけで。上手の人に対しても、ヘタな手を打ち続けることに申し訳ない気持ちが大きくなってきて、正直心がしんどい。勝てないことがしんどいのでは無くて、段々と迷惑をかけている気分になってくる。実際、囲碁ステーションの13路では石を置かせて下手の方と打って、結構負けたりしてますが、そんな気分になる事は無いなぁ、と。

やはり、一桁級相当になるまでは、あまりこういったイベントには行きたくないかも知れない。二桁級のド素人で19路を打っているのは、自分だけで、それがとても場違いな気がします。本での勉強がメインで、この調子で一桁級なんて、それがいつの日になることか分かりませんが…やはりネット碁とかしないとダメなんでしょうか。あの雰囲気、好きになれないんだよなぁ。

あと、やっぱり異性との出会いを求めている空気があるというか、微妙な合コンノリみたいな部分があって、それが受け付けないというのはあるなぁ。まぁ女が集まれば放っておいても男が寄ってくるだろうから、手っ取り早いんだろうなぁとは思いますけど、そういうのは好きになれないです。